はじめに:教育は自由への道か?
「教育を受けなさい」と言われて育った私たちは、
それが“より良く生きるため”の道だと信じて疑わなかった。
だが、その教育は本当に私たちを自由にしたのだろうか?
正解だけを求められる仕組み
小学校から高校まで、私たちが何度も刷り込まれてきたものがある。
- 答えは1つ
- 間違ってはいけない
- 手を挙げるのは正しい人
これらは思考する力を育てるのではなく、正解に従うことを体に覚えさせる訓練だったのではないか。
従順な労働者を育てる装置
教育が目指しているのは「自由な個人」ではない。
企業にとって“扱いやすい労働者”を育てることにある。
- 遅刻せずに来ること
- 上司の指示を正確にこなすこと
- ノーと言わずに空気を読むこと
これらは、学校生活で身につく「ルールの従順性」に支えられている。
つまり学校は、反抗しない人間を生産するための装置なのだ。
個性と創造性の抑圧
絵が上手い子、歌が好きな子、運動が苦手な子。
そういった“個性”は、教育の中では評価されづらい。
- 成績という数字で人を序列化
- 授業に口を挟むと「空気を読め」と言われる
- テストに出ないことは価値がないとされる
評価されるのは“平均に従う能力”であって、“本質的な思考力”ではない。
なぜ反抗しないのか
人は、長年にわたり「飼いならされる」と、
自ら疑うことをやめる。
- 違和感を抱いても我慢する
- 教師の理不尽にも逆らわない
- 集団に溶け込むことで安心する
これは支配されている側の“自己防衛反応”であり、
本質的には「思考の停止」に近い。
ではどうすればいいのか?
「すべての教育が悪い」という話ではない。
問題は、“考える力を奪う教育”が主流であるということだ。
これからの時代に必要なのは以下のような力だ:
- 正解のない問題を問い続ける力
- 群れない勇気
- 自分の言葉で語る表現力
- 矛盾を見抜く分析力
つまり、“従う力”ではなく、“生き抜く力”である。
結び:教育から目を覚ませ
あなたが学校で教えられてきたことの多くは、
「誰かにとって都合の良い常識」だった可能性がある。
これからの連載では、
その“常識”を一つずつ疑い、解体し、
自分の構造で生きる道を提案していく。
思考を止めた時点で、自由は失われる。
考え続ける限り、あなたはまだ支配されていない。
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