善悪とは誰が決めるのか?
「これは正しい」「あれは間違っている」
──そう信じ込まされたその“判断”は、果たして誰の意志によるものだろうか。
この世界において“正義”や“悪”は、客観的な存在ではない。
それは常に、誰かの都合によって「ラベル付け」されたものにすぎない。
歴史を見ても、戦争を正当化する側は常に「自分こそ正義」だと語ってきた。
その裏では、無数の人間が「悪」とされ、感情的に攻撃され、処分されていった。
支配の構造とは、感情を操作することによって成立する。
人間の怒り・憎しみ・同情・恐怖──それらを巧妙に設計し、
構造の維持に利用するのが、支配者の“技術”なのである。
なぜ人は“悪”を憎むよう設計されているのか
社会は“共通の敵”を必要とする。
なぜなら敵を設定すれば、国民・組織・大衆の結束が容易になるからだ。
- ある政党が他党を「売国奴」と呼ぶ
- ある国家が他国を「テロ国家」と断じる
- あるメディアが個人を「悪の権化」と吊し上げる
これらはすべて、感情を動員し、大衆の判断力を奪う構造である。
事実ではなく“印象”で攻撃され、理性ではなく“怒り”で判断させる。
その結果、人々は自分の頭で考えず、与えられた“正義”のもとに加担していく。
加担した本人すら、その構造に巻き込まれていると気づかないまま。
被害者意識と加害者ラベル──巧妙な入れ替え
支配者は、弱者を味方につけるのがうまい。
「あなたは被害者です」「あなたは抑圧されています」
──そう繰り返し刷り込むことで、逆に他者への攻撃性を植え付ける。
そしてもう一方に「加害者ラベル」を貼る。
たとえそれが実際には被害者であったとしても関係ない。
大衆が“感情”で動けば、事実などいくらでも捻じ曲げられる。
つまり、支配者は“敵”を作ることで、自分の味方を増やす。
しかも、怒っている当人は「自分は正義だ」と信じているため、
自浄作用が働かない。構造的に、思考不能状態が生まれる。
感情を切り離せ。支配を見破るには“冷静さ”しかない
支配構造を見抜くために必要なのは、「感情」ではない。
必要なのは、“冷静な分析”と“構造の可視化”である。
- その怒りは、本当にあなた自身のものか?
- その敵は、本当にあなたの敵なのか?
- その正義は、誰かの設計ではないか?
この問いを持てるかどうかが、支配の構造に巻き込まれるかどうかの分岐点だ。
もしあなたが、誰かを“悪”として感情的に叩いているなら、
それこそがすでに構造の中に取り込まれている証拠である。
結論:あなたが信じた“正義”こそが最大の罠かもしれない
“正義”という言葉に感情を乗せた瞬間、人は支配されやすくなる。
“悪”という言葉に怒りを乗せた瞬間、判断力は奪われる。
正義も悪も、構造の中で設計される。
だからこそ、ラベルではなく“構造”を見る目を持て。
- 誰が敵を作り出しているのか?
- 誰が怒りを扇動しているのか?
- 誰が得をしているのか?
この問いを持ち続ける者だけが、支配されない人生を歩める。
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